スーパーロボットとリアルロボット
「スーパーロボット」及び「リアルロボット」とは、フィクション作品におけるロボットの分類方法の一つである。
また、「スーパー系」「リアル系」といった形で作品そのものの作風の分類に用いたり、「スーパー系寄りの能力」「リアル系寄りの能力」といった形でゲーム中のステータス設定の傾向分類に用いることもある。典型的なスーパー系作品としてよく名前が挙がるのは『マジンガーシリーズ』や『ロマンロボシリーズ』、一方典型的リアル系作品としてよく取り上げられるのは『ガンダムシリーズ』や『マクロスシリーズ』、『ボトムズシリーズ』などである。
ロボットアニメの歴史から見る両者の分類
日本におけるロボットアニメの歴史を踏まえて両者の分類を行うとすれば、「70年代ロボットアニメがスーパー系」「ガンダム以降・80年代前半ロボットアニメがリアル系」という形で概ね総括できる。その詳細について以下に記述する。
70年代ロボットアニメ
1970年代初頭、子供向けの番組として茶の間を席巻していた存在といえば、二大特撮ヒーロー『ウルトラマン』及び『仮面ライダー』である。この両者は、巨大な身体か等身大か、異星人か改造人間か…といった細かい違いこそあるものの、悪の怪獣ないし怪人に立ち向かう存在でかつ多彩な能力を有する「正義の万能ヒーロー」であるという重要な特徴が共通していた。
1972年に放送された日本初のカラーロボットアニメ『アストロガンガー』(1972年10月4日~1973年3月28日。SRW未参戦)に続き、永井豪氏が原作の巨大ロボットアニメ『マジンガーZ』が放映を開始。『マジンガーZ』の作風は「様々な能力を備えた一騎当千のマシーン」が「悪の博士が繰り出す機械獣を打ち倒す」という、前述の2作品の系譜に連なる正義の万能ヒーローの物語であり、それゆえマジンガーZはウルトラマンや仮面ライダーといった「スーパー」ヒーローと概ね同様の意味合いで「スーパー」ロボットとして認知されるようになる[1] 。
『マジンガーZ』はTVアニメとして大ヒットを記録し、前述の2シリーズや『科学忍者隊ガッチャマン』等と並び、子供向けヒーローのジャンルで確固たる地位を築く。そして同作を皮切りとして、東映動画(後の東映アニメーション)は1974年に『ゲッターロボ』『グレートマジンガー』、1975年に『ゲッターロボG』『UFOロボ グレンダイザー』『鋼鉄ジーグ』と、永井氏および石川賢氏を擁するダイナミック・プロ原作の巨大ロボットアニメを相次いで制作し、いずれもヒットを飛ばす。また、1975年には東北新社が『勇者ライディーン』を、1976年から1979年にかけて東映本社テレビ部が『ロマンロボシリーズ』(『未来ロボ ダルタニアス』を含む)、更に前述の東映動画が初のオリジナルロボットアニメとなる『大空魔竜ガイキング』を制作するなど、ロボットアニメ作品の黄金時代を迎える。そしてこれらの一連の作品を通じて確固たるものとなった概念が「スーパーロボットが活躍するアニメ」、即ち「スーパーロボットアニメ(スーパー系の作品)」である 。[2]
これらの作品はそれぞれが独自の個性を内包した作品であり、紋切り型にスーパー系と区分する事に対しては異議を唱える声もある。しかしながらこれらの作品は、これまで述べた「一騎当千の正義のヒーローロボットの活躍」「最終目的は悪の侵略者である親玉を打ち倒すこと」という共有の下敷きを基にして生まれた要素を多く内包しているのは事実である。こんにちスーパー系的であると捉えられている、一種の「テンプレート」とも呼ぶべき要素の多くは、この時期に多くの作品が製作される中で醸成された様式美のようなものであると言える。
ガンダム以降・80年代ロボットアニメ
上述の70年代スーパーロボットアニメ黄金期において、『無敵超人ザンボット3』で業界に一石を投じたのが日本サンライズ(後のサンライズ。以下現社名で表記)である。同社は1975年に『勇者ライディーン』への制作協力を皮切りにロボットアニメ業界へ参入するが、1977年、『ライディーン』で監督を途中降板した富野喜幸(現:富野由悠季)氏を監督に迎えて『ザンボット3』を制作・放映した。同作は前述の「型」の大部分を継承しつつも、「守るべき地球の人々から迫害を受け、更には地球を守る事が本当に善いことであるのか?」という点すら定かでないまま戦わざるをえない主人公を描き、「正義」というヒーローが拠って立つ最も根本的な戦いの動機に疑問を投げかけた点で衝撃的な作品であった。
そしてサンライズは、翌1978年の『無敵鋼人ダイターン3』を経て、1979年にリアルロボットというジャンルの先駆けとなった傑作『機動戦士ガンダム』を世に送り出す。同作は、前述したようなスーパー系の「型」に通ずる部分が数多く残る作品[3]であるとの指摘も多いものの、「戦いに明確な善悪のない『戦争』という舞台設定(=「地底や外宇宙からの侵略者」等の悪役と比較して、より「リアリティ」を感じさせる設定[4])」「戦争をよりリアルに描くために練られた、よりリアルなSF考証や軍事考証・メカニック設定。一例をあげれば、量産型や物量戦といった概念など」は、紛れもなくその後のリアルロボット勃興期を牽引する画期的なものであった。
同作は1980年の劇場化、及びその後の再放送によって熱烈な人気を獲得する。サンライズはヒットの余勢を駆り、1982年から1984年にかけ、富野氏とのタッグで『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』を立て続けに制作した。
そしてサンライズリアルロボット路線のもうひとつの潮流として、1981年に『太陽の牙ダグラム』を送り出した[5]高橋良輔氏が登場する。高橋氏は『ダグラム』終了後の1983年に『装甲騎兵ボトムズ』を制作するが、同作は『ガンダム』において主役機に僅かに残っていたスーパー系の残滓も徹底的に排除されている点が最大の特徴で、今日「リアル系の金字塔」とも評される傑作である。元々「リアルロボット」という用語自体が、高橋氏が自身のロボットアニメ制作手法を表現するために生み出した造語であることからも明らかなように、高橋氏の作品がロボットアニメシーンのリアル化路線に与えた影響は極めて大きいものであった。その後も高橋氏は84年の『機甲界ガリアン』を経て、1985年には再び異星文明との星間戦争を描いた『蒼き流星SPTレイズナー』を制作し、リアルロボットブームを引き続き牽引することとなる。
更に上記の流れに追従するように、1982年には河森正治氏ら若手クリエイターを中心として、スタジオぬえより『超時空要塞マクロス』が輩出されるなど、サンライズ以外の制作会社もリアル的要素の盛り込まれた作品の制作を開始。こうして80年代前半のロボットアニメシーンは、作中に何かしらのミリタリー要素やリアリティ重視を盛り込んだ作品が隆盛し、所謂「リアルロボットブーム」が席巻していく事となる。70年代にスーパーロボット作品のテンプレートが形成されたのと同様、リアルロボット作品の様式の多くは、この80年代前半に形作られたものであると言える。
一方、スーパーロボットアニメに目を向けると、『ダルタニアス』からの流れを引き継ぐ形で『宇宙大帝ゴッドシグマ』『百獣王ゴライオン』『光速電神アルベガス』が、そしてリアルロボットの要素を取り入れた『機甲艦隊ダイラガーXV』『ビデオ戦士レザリオン』が制作・放送されてはいたが、かつての勢いは失われつつあった。またリアルロボットブームの流れを受け、『宇宙戦士バルディオス』『戦国魔神ゴーショーグン』『J9シリーズ』『六神合体ゴッドマーズ』『超獣機神ダンクーガ』などロボットアクションよりキャラクタードラマを前面に推し出した作品も登場した。
80年代後半には、それまでのロボットアニメとは全く毛色が異なる2つの作品が現れる。85年放映の『戦え! 超ロボット生命体トランスフォーマー』と、88年放映の『魔神英雄伝ワタル』である。前者は意思を持つ「善」と「悪」のロボット軍団による群像劇を軸に、それまで演出面でのスパイスでしかなかった「変形・合体」を「擬態」という形で前面に押し出し、後者は『ドラゴンクエスト』に代表されるファンタジー系RPGの手法をロボットアニメに持ち込んだ作品で、いずれも低年齢層を中心に人気を博し(これは児童雑誌とのタイアップによる所も大きい)、スーパーロボット路線の凋落を止めることに成功する。
90年代以降の年代のロボットアニメ
1985年の『機動戦士Ζガンダム』の放映を一つの区切として、リアルロボット系作品勃興の流れは沈静化。この頃から行きすぎたSF考証・リアリティ重視の姿勢と巨大人型ロボットというある種ロマンの産物との衝突や演出面の不便さが表面化し、現在にも続く大きな課題になっていくこととなる。80年代後半にはOVAブームが起こり、スーパー系の系譜を受け継ぐ『冥王計画ゼオライマー』や『破邪大星ダンガイオー』、リアル系寄りの『メガゾーン23』等の作品が制作される。しかし総じてこのジャンル自体が黄金期を過ぎ、新たなジャンルの勃興や世間情勢の変化に伴ってロボットアニメは緩やかに低迷期を迎え、1990年代に突入することになる。そんな中でも「ロボットが日常化した近未来日本」と警察を舞台にした『機動警察パトレイバー』は人気を博したものの、メディアは違えどロボットより人間模様や事件そのものが重視されロボットの活躍が隅へ置かれてしまうという、リアル系の問題点の極北をも示してしまった(特に主役機の活躍が背景描写に近い劇場版第2作・第3作や、ロボ同士の戦いで話が終わらなかった漫画版最終巻後半)。また『パトレイバー』での敵は現実に起こりうる犯罪・問題の延長線上にあるものがほとんどであり(たまに怪獣も出てくるが)クーデターやサイバーテロから人命救助まで様々な題材が取り上げられた。
90年代後半も取り立ててエポックメイキングな方向性は生まれなかったが、強いて一つ挙げるとするならば1995年に制作された『新世紀エヴァンゲリオン』になるだろう。同作の最大の特徴は、主人公が抗うべき対象が「悪の組織」でも「戦争という現実」でもなく、「隣人」と「自分自身」であったことにある。この点を意識した作りになっているのが翌96年に制作された『機動戦艦ナデシコ』であるが、同作の監督である佐藤竜雄氏の見解を参考に総括すれば、70年代アニメにおける戦いの動機は「『正義』『愛』という分かりやすい概念」、80年代になると「普遍的な正義などない(=戦争での大義のように、立場によって左右されるもの)のだから、現実を自分なりに咀嚼し、納得いく立ち回りをすること」というスタンスに移行する。これに対し90年代は(佐藤氏は「決定打ではない」と前置きしているものの)「自身が周囲との関係の中で存在していることを理解し、その存在意義を見出すこと」という、一種の自己実現的な戦いの動機が新たに台頭している。このような傾向は1998年制作の『ブレンパワード』『ガサラキ』、1999年制作の『無限のリヴァイアス』、2002年制作の『ラーゼフォン』等にも見られ、新たな一つの潮流となったことは確かである。
この流れはアニメ業界全体に多大な影響を与え、様々なジャンルで影響を受けた・それを模した作品が制作されることになり、ロボットアニメにおいてもそれは例外では無かったが、その流行が一段落すると衰退の現状が再認識され、引き続き新たなジャンルの方向性が試みられ続けることとなり、2010年以降の現在までその状態は続いている。ただ、いかなる方向性を前面に押し出して総括したとしても、確実に言えるのは、実際のところはこれまでに培われたスーパー、リアルそれぞれの「型」のうち、両方の要素をある程度ずつ含んでいる作品が相当数にのぼるという点である。現在ではそれらの「お約束」とも言える「型」を満たした作品がロボットアニメ扱いされるような状態になりつつあり、それらを外れたもの、特に"ロボットは出てくるがどちらかと言うとキャラクターがメインである"作品についてはまた一線を画した反応がされることが多く、ジャンルの幅を狭めるある種の制約・縛りとなっている面があるとも言える。そもそも、前述のスーパー、リアルそれぞれの「型」について、それらを全てを忠実に満たした純粋なスーパー系作品、リアル系作品というものはあくまで概念上存在するに過ぎないものであって、それぞれの黄金期以外の作品について(90年代以降は特に)スーパー系ないしリアル系のいずれかに明確に分類できる作品は多くない。2002年制作の『オーバーマン キングゲイナー』や2006年制作の『コードギアス 反逆のルルーシュ』(および続編『同R2』)、2014年制作の『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』などはそのようなスーパー・リアルの線引きが困難な作品の代表例と言える。
他方、ロボットアニメの源流とも呼ぶべき「スーパーロボット系」テイストには根強い需要があるようで、サンライズは90年にスーパー系要素と低年齢層向けの作劇を融合した『勇者シリーズ』を、翌91年に『エルドランシリーズ』をそれぞれ制作し、好評を博した。その後、同社が2000年に制作した『GEAR戦士電童』の他、2003年の『神魂合体ゴーダンナー!!』や2007年の『天元突破グレンラガン』、そして2018年の『新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION』など、典型的「スーパー系作品」と言うべき作品は断続的に制作されている。
両者の基本的な特徴
前段で述べた通り、スーパー系は1970年代に、リアル系は1980年代前半に、多くの作品で培われた一種の「型」が存在している。そしてその下敷きとなっている前提は、スーパー系については「一騎当千の正義のヒーローロボットの活躍」「最終目的は悪の侵略者である親玉を打ち倒すこと」、リアル系については「戦いに明確な善悪のない『戦争』という舞台設定」「戦争をよりリアルに描くために練られた、よりリアルなSF考証や軍事考証・メカニック設定」という形に集約できる。
本項ではこの前提から生み出される数々の「型」について、それぞれ主役メカと作品の舞台設定の面から代表的なものを抽出することを試みる。
なお、繰り返しになるが、これらはあくまで「リアル系」「スーパー系」らしさに貢献する要素の一つであり、これらが含まれているものが即いずれかの作品に分類されるとは言えない(90年代の項で述べた通り、大半の作品は下記の要素を双方とも一定程度含んでいる点に注意が必要である)。また、下記の項目を含む「らしさ」に寄与する要素についてはファンの間で多様な見解が示され議論が戦わされる部分でもあり、更には製作スタッフや声優の中にも独自の「スーパーロボット」「リアルロボット」観を表明している人物もいる。
スーパーロボット・スーパーロボット系作品の特徴
前述の通り、下記の要素を全て含んだ「純正スーパー系作品」はあくまで概念上存在するに過ぎないものだが、ロボットアニメの作風の変遷を追うことがテーマの一つでもある『ナデシコ』の劇中劇『熱血ロボ ゲキ・ガンガー3』は、かなりそれに近いものとなっている。興味がある方は参考にされたい。
- 主役メカ
- 「一騎当千の万能メカ」「唯一無二のヒーロー性」といった要素を際立たせる必要がある結果、下記のような設定が用いられる場合が多い。
- 超技術や未知の技術などを採用しており、ワンオフ機である。
- その結果として量産は不可能であったり、可能であってもかなりデチューンされたものとなるケースが多い。
- パイロットについても、機体に選ばれたり、一般人ではその性能を引き出せなかったりと、極めて限定される。
- 採用技術との関連で、作中において世界標準であるエネルギーとは全く異なるエネルギーで動いていたり、作中標準の素材とは段違いの性能を誇る超金属で構成されている場合が多い(動力源については、『スパロボOGネットラジオ うますぎWAVE』第151回では「説明できるエネルギー源かどうか」という形で提起されている。また、寺田プロデューサーもかつて同種の見解を述べたことがある)。
- 一体に数多くの機能が搭載された「万能型(ジェネラリスト)」である。
- 新武装や新装備の追加、新しく登場したサポートロボとの合体など、パワーアップイベントにより強化が施される場合が多い。
- ピンチに陥る描写の関係上、敵の攻撃を避けるのではなく耐える性格の機体が多い。このため、必然的に装甲厚めという設定になりやすい。
- ヒーローのお約束である「必殺技」を搭載している。
- 武器名をより際立たせる関係から、パイロットが技名を叫ぶことが多い。また、エコーがかかる場合もある。
- 以上の結果、単機で地球全土を防衛したり、敵の全てを殲滅できるような圧倒的性能を有する。
- 超技術や未知の技術などを採用しており、ワンオフ機である。
- 舞台設定
- 基本的に「主人公側が正義」「敵は悪」という設定が基本にして最大の特徴である。
- 敵は悪の帝王が率いる侵略者、もしくは異形の生命体など、人類にとって紛れもない敵性体である。
- 敵が侵略者である場合、一部の敵とは分かりあえることを示すエピソードが挿入されるケースが非常に多い。
- もっとも、倒すべき親玉について言えばほぼ必ず「悪」であり、それを討つことで大団円を迎えるという展開が多い。
- 一方で、主人公側に邪な心を持つ人物や自己中心的な人物が配されているパターン[6]も少なからず存在している。
- 「主人公側の悪」と評すべき彼等は「スーパー系の作品≠単純な勧善懲悪」という事実を証明する存在であるとも言える。
- 敵は、様々な能力を持った戦力を1体ずつ(多くとも複数体)小出しにして、主役メカとガチンコ勝負で破壊を試みるという戦略を取ってくる場合が非常に多い。
- 主役メカ以外の防衛戦力が存在する場合も多いが、主役メカ以外では対処不可能な水準の敵である場合が多い。
- 後には物量戦を仕掛けてくる敵も登場するようになる。但しその場合、主役スーパーロボットはそれにも問題なく対応できる超広範囲を対象とする殲滅戦用能力を有する。
- 敵は悪の帝王が率いる侵略者、もしくは異形の生命体など、人類にとって紛れもない敵性体である。
リアルロボット・リアルロボット系作品の特徴
基本的に前述のスーパー系の「型」と対になる性質が多い。
- 主役メカ
- スーパー系に比べると、主役メカが有する特別な意味合いは薄い。ただし、スコープドッグ等の例外を除き、ある程度は華や唯一無二性が盛り込まれるケースが大半。こと主役メカに限定して言えば、大半のロボットが少なからずスーパーロボット的な性質を備えていると言って概ね間違いない。
- 作中の技術の応用、ないしは延長線上の技術で作られており、高性能ではあるものの既存他機との差異は小さい。
- とはいうものの実際には一騎当千の活躍をすることは多いが、これは「超人的なパイロットが搭乗するがゆえに無敵」という論法でカバーされる場合が多い。
- そのため、パイロットの腕前=回避力や、それを活かせるように機動性に優れているという設定になる場合が非常に多い。これは後述のゲームにおける能力設定にも影響を与えている。
- 装備についても、その多くは既存他機と共通のものが多い。
- 以前の機体を作品の真っ最中で放棄し、後継機への乗り換えを行う形で主役機強化が為される場合がある。
- その場合は大半、乗り換え前の機体を他の仲間が引き継いで後継機と共闘する。
- 以上の結果、どれほど優れていても単機で戦局に与える影響は微小であり、あくまで巨大な軍組織の中の一つの駒である。
- 作中の技術の応用、ないしは延長線上の技術で作られており、高性能ではあるものの既存他機との差異は小さい。
- 舞台設定
- 「善悪とは相対的なもので、普遍的な正義など無い」というのが基本的な設定。
- 「戦争」という舞台設定が非常によく用いられる。このため、敵にも敵なりの信念や正義がある場合が多い。
- 戦争を舞台とする関係上、軍事考証もある程度きちんと行われている。物量に優れた陣営が優勢であるという描写が一般的。
- 「モビルスーツ」など、作品世界全体に普及している標準的な兵器が存在しており、これらは作中の標準的技術で量産可能なものである。
- 前述の「物量」とあわせ、量産タイプの兵器の優劣がミリタリーバランスに極めて重要な影響を及ぼす。
- 「戦争」という舞台設定が非常によく用いられる。このため、敵にも敵なりの信念や正義がある場合が多い。
スーパーロボット大戦におけるスーパーロボット・リアルロボット
前項までは、各種設定面から各ロボットをスーパー・リアルのいずれかに分類する仕方についての一般論の紹介である。
これに対し、スーパーロボット大戦ではゲーム内の機体の能力傾向を現す用語として「スーパー」「リアル」の区分が用いられることがある。これは設定面での分類と重なる部分がある半面、完全にスパロボ独自の用法として捉えた方がよい面もある。
ごく端的に言えば「装甲が厚く、必殺技により大火力」の機体がスーパー系、「避けて当てる」機体がリアル系とする区分であるが、これは『第4次スーパーロボット大戦』における主人公の性質選択に端を発する二分法である。この枠組みから主人公機体以外についても「スーパー系のユニット」「リアル系のユニット」と能力によって区分けする考え方がファンの間に根付いた。『第4次』以降も、主人公機体の能力を「スーパー系」「リアル系」に分けて主人公選択式にする伝統は続いたが、システムやバランスの複雑化から従来の「スーパー系」「リアル系」の枠組みに収まらない主人公機体も多く登場してきたため、『スーパーロボット大戦J』を最後に「スーパー」「リアル」という用語での主人公機体の区分を撤廃している。しかし、それでも過去のシリーズの伝統から、以降の作品でも登場ユニットを「スーパー系寄りの機体」「リアル系寄りの機体」で二分して考えるファンも多い。
『第3次スーパーロボット大戦α』においては、暫定的な区分として「受けるタイプ」を「パワー型」、「避けるタイプ」を「スピード型」と呼称している。
詳細は「スーパーロボット」及び「リアルロボット」に記載があるので、そちらを参照されたい。
脚注
- ↑ 「スーパーロボット」という語は本作以前から『ウルトラセブン』等で敵ロボットの紹介に用いられていたようだが、主題歌にも謳われるように自身を明確に「スーパーロボット」と呼称したのは『マジンガーZ』が初であろうと思われる。なお、「スーパー」という語が「スーパーロボット」のそれと同様に「凄い」「ヒロイックな」という意味合いで巷に普及するきっかけとなった重要な出来事としては「『スーパーマン』映像化(日本では1956年にTV放映開始、1978年に映画化)」「『スーパーカー』ブーム(1974年以降)」等があげられる。
- ↑ 本項では文章量の関係上、代表的な作品を記載するに止めた。ここで取り上げた以外のスーパーロボットの系譜の作品としては『ゴワッパー5ゴーダム』『UFO戦士ダイアポロン(及びII)』『ブロッカー軍団IV マシーンブラスター』『マグネロボ ガ・キーン』(以上1976年)『合身戦隊メカンダーロボ』『惑星ロボ ダンガードA』『超合体魔術ロボ ギンガイザー』『超人戦隊バラタック』(以上1977年)『宇宙魔神ダイケンゴー』(1978年)『闘士ゴーディアン』(1979年)等が存在する。
- ↑ 一例を挙げれば、「敵メカや戦艦を一撃で葬り去る主役機ガンダムの圧倒的性能」「ガンダム・ハンマー等の特殊武器、Gパーツ等の追加換装パーツの存在」「『毎週かわるがわる登場する悪の敵』というスーパー系のお約束に通じる、バラエティに富んだジオンメカ」「悪の親玉としての側面が強く描かれているギレン・ザビ(当初は、アムロとシャアが独裁者ギレンを討ち大団円を迎える…という展開の予定であった)」など。
- ↑ あくまでも演出上の「リアリティ」に留まるものである点には注意が必要。フィクション作品である以上、本当に「リアル(=現実)」に起こり得ると言っているわけではない。
- ↑ 『ダグラム』はキャラクターモデルのヒットによりポスト『ガンダム』の最右翼となった一方で「アニメック」誌を中心とした低俗なネガティブキャンペーンの的にされてしまった不遇な作品でもある。前述のスーパー系作品黄金期に比べ、この当時は必ずしもリアル系作品が優遇一色というわけでもなかった。
- ↑ 彼等は主人公を苦悩させたり、主人公の行動を邪魔する事が多い。一例を挙げれば、『闘将ダイモス』の三輪防人がいる。