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「[[スーパーロボット大戦シリーズ]]」のプロデューサー。『[[スーパーロボット大戦MX]]』開発終盤でテストプレイに参加(ノンクレジット)<ref name="ファミ通">[https://www.famitsu.com/news/201606/25108624.html 『スーパーロボット大戦』シリーズを支え続けたスタッフたちが、制作の裏側を語るインタビュー【完全版】] 2019年5月29日閲覧。</ref>。『[[スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION2]]』で本格的にシリーズに関わり、『[[スーパーロボット大戦W]]』以降任天堂携帯機シリーズを中心にプロデュースしている。
 
「[[スーパーロボット大戦シリーズ]]」のプロデューサー。『[[スーパーロボット大戦MX]]』開発終盤でテストプレイに参加(ノンクレジット)<ref name="ファミ通">[https://www.famitsu.com/news/201606/25108624.html 『スーパーロボット大戦』シリーズを支え続けたスタッフたちが、制作の裏側を語るインタビュー【完全版】] 2019年5月29日閲覧。</ref>。『[[スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION2]]』で本格的にシリーズに関わり、『[[スーパーロボット大戦W]]』以降任天堂携帯機シリーズを中心にプロデュースしている。
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任天堂携帯機シリーズが事実上終了して以降は開発にエーアイが携わった『フルメタル・パニック!戦うフー・デアーズ・ウィンズ』のプロデュースを手掛けたほか、『[[スーパーロボット大戦DD]]』にもスタッフのひとりとして参加している。
  
 
小学生時代からスパロボのプレイヤーであり、第1作『[[スーパーロボット大戦]]』からプレイしている。[[スタッフ:寺田貴信|寺田貴信]]Pによれば、宇田Pはスパロボ制作を希望して入社、プロデューサーとなった初めての人物だという。当時はスパロボに詳しい人は採用しないという風潮があり、宇田Pも面接ではスパロボ以外のタイトルについて話したとのこと。<ref name="ファミ通" />
 
小学生時代からスパロボのプレイヤーであり、第1作『[[スーパーロボット大戦]]』からプレイしている。[[スタッフ:寺田貴信|寺田貴信]]Pによれば、宇田Pはスパロボ制作を希望して入社、プロデューサーとなった初めての人物だという。当時はスパロボに詳しい人は採用しないという風潮があり、宇田Pも面接ではスパロボ以外のタイトルについて話したとのこと。<ref name="ファミ通" />

2020年10月23日 (金) 11:05時点における版

  • 読み:うた あゆみ

スーパーロボット大戦シリーズ」のプロデューサー。『スーパーロボット大戦MX』開発終盤でテストプレイに参加(ノンクレジット)[1]。『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION2』で本格的にシリーズに関わり、『スーパーロボット大戦W』以降任天堂携帯機シリーズを中心にプロデュースしている。

任天堂携帯機シリーズが事実上終了して以降は開発にエーアイが携わった『フルメタル・パニック!戦うフー・デアーズ・ウィンズ』のプロデュースを手掛けたほか、『スーパーロボット大戦DD』にもスタッフのひとりとして参加している。

小学生時代からスパロボのプレイヤーであり、第1作『スーパーロボット大戦』からプレイしている。寺田貴信Pによれば、宇田Pはスパロボ制作を希望して入社、プロデューサーとなった初めての人物だという。当時はスパロボに詳しい人は採用しないという風潮があり、宇田Pも面接ではスパロボ以外のタイトルについて話したとのこと。[1]

プロデュース

作品発売日
スーパーロボット大戦W2007年3月1日 (木)
スーパーロボット大戦OG外伝2007年12月27日 (木)
スーパーロボット大戦K2009年3月20日 (金)
スーパーロボット大戦L2010年11月25日 (木)
第2次スーパーロボット大戦OG2012年11月29日 (木)
スーパーロボット大戦UX2013年3月14日 (木)
スーパーロボット大戦OG ダークプリズン2013年11月28日 (木)
2014年4月17日 (木)
スーパーロボット大戦BX2015年8月20日 (木)

脚注