「カギ爪の男」を編集中
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=== 本質 === | === 本質 === | ||
− | + | 明言されてはいないが、彼の主観は'''自分以外の全ての人間を、夢の中、あるいは虚構に近い存在と見なしている事'''が伺える。自分の意見を押し通せると確信する思考、個人を顧みない在り方、全てをリセットするという計画自体も「我々がゲームをプレイして、最後にやり直すような感覚」に置き換えるとわかりやすい。だからこそ、誰が死のうが誰を殺そうが気にかけないし、愛情を向けようともそれは生命に対するものにはなりえない。 | |
− | 圧倒的カリスマ性については、その主観がもたらす「絶対的上位から全ての人間を俯瞰する」有様が理由と思われる。[[カギ爪の男の集団]]に属している人間は、ウーなど一部を除き、形はどうあれ他者との関わりに疲れた者たちで占められているが、そのような人間にとっては、人類を見ていても個人は見ていない=誰もを愛しているが誰も愛していないために集団としては受け入れてくれ、個人としては無関心な彼が救いとなるのである。 | + | 圧倒的カリスマ性については、その主観がもたらす「絶対的上位から全ての人間を俯瞰する」有様が理由と思われる。 |
+ | [[カギ爪の男の集団]]に属している人間は、ウーなど一部を除き、形はどうあれ他者との関わりに疲れた者たちで占められているが、そのような人間にとっては、人類を見ていても個人は見ていない=誰もを愛しているが誰も愛していないために集団としては受け入れてくれ、個人としては無関心な彼が救いとなるのである。 | ||
− | + | さらにそのポジティブ極まる考え方は、言動から察するに、全ての人間に対して「自分と友達になろうとしている」という前提を付与しているためであることが読み取れる。いかなる主義主張に対してもその前提のもとで受け答えをするため、何一つ通じることはない。それどころか、例え暴言・批判・妨害・殺傷であろうが、彼に関わろうとするあらゆるアクションは「友達になりたいアピール」でしかない。平たく言ってしまえば万事を自分に都合よく解釈する、ストーカーに近い思考形態だが、この手の人間にとって一番嫌なのは解釈の余地のない明白な拒絶。クーデターを起こしたドミンゴや協力を拒んだエレナ、シノなど彼によって殺害された者たちがまさにそれに当てはまる。それは当然「怒り」のはずであるが、己の心すら直視できない彼は夢想に沿って「友達になりたかったが故の失敗」と解釈する。 | |
− | + | 総括するとクー・クライング・クルーという男は、過去に体験した絶望から逃れようとするあまり、世界を道連れに現実逃避し続けた、あらゆる意味で'''夢しか見ていない狂人'''であった……と言える。 | |
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なおBD-BOXの谷口監督とのインタビューによると、カギ爪の男は負の感情を持っていないのではなく、単純に過去のトラウマによってそれを表に出すことができないという(これにより組織の中で彼を本当に理解している人間は一人もいない)。また、たまった負の感情が爆発することがあり、その前触れとしてカギ爪が無意識的に動くことがある。つまりエレナやシノを殺したのは無意識的にそうしたかったからに他ならず、バースデイのスパロボでの戦闘演出でも採用された<ref>原作でヴァンとの戦闘中にカギ爪がぴくぴく動いている様子を見ると、ヴァンも殺すつもりでいたとうかがえる。</ref>。 | なおBD-BOXの谷口監督とのインタビューによると、カギ爪の男は負の感情を持っていないのではなく、単純に過去のトラウマによってそれを表に出すことができないという(これにより組織の中で彼を本当に理解している人間は一人もいない)。また、たまった負の感情が爆発することがあり、その前触れとしてカギ爪が無意識的に動くことがある。つまりエレナやシノを殺したのは無意識的にそうしたかったからに他ならず、バースデイのスパロボでの戦闘演出でも採用された<ref>原作でヴァンとの戦闘中にカギ爪がぴくぴく動いている様子を見ると、ヴァンも殺すつもりでいたとうかがえる。</ref>。 |