差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
66行目:
66行目:
− +
− その反面、精神面における導き手の役割を期待されたアスランや周囲の大人達が全くそれをなせなかったが為に、成長する機会を失った不運なキャラクターとも言える。シンから見れば、自分の置かれた状況を深く考えず自分の感情のまま行動した末に増長しており、自分を優遇してくれる人物に甘えていたとも言える。凄惨な経験と、そこから来る他人との精神的な壁により、怒りと絶望に凝り固まり盲目になってしまったため、一人では客観的に自省できぬまま泥沼と負の連鎖に陥った結果、先述のように後半は明らかに情緒不安定で正常な考えが不可能になっており、最終決戦では錯乱までしてしまった。+
86行目:
86行目:
+
+
編集の要約なし
*勝手にステラを返還する等、周囲の迷惑を省みない軍人として問題の有る行動(しかも結果的にステラはデストロイに搭乗させられてしまい、この行為は何の意味も持たなかった)<ref>まあ、[[組織]]の迷惑を省みない問題行動に関しては'''[[ガンダムシリーズ]]において「よくある事例」'''でもあるのだが。</ref>。
*勝手にステラを返還する等、周囲の迷惑を省みない軍人として問題の有る行動(しかも結果的にステラはデストロイに搭乗させられてしまい、この行為は何の意味も持たなかった)<ref>まあ、[[組織]]の迷惑を省みない問題行動に関しては'''[[ガンダムシリーズ]]において「よくある事例」'''でもあるのだが。</ref>。
*終盤におけるまで妹のマユやステラの死を乗り越える事が出来なかった事。
*終盤におけるまで妹のマユやステラの死を乗り越える事が出来なかった事。
*「常に」と言って良いほどに都合の悪い結果を他者になすり付ける自己正当化や、自分の行動に対する結果に対する自覚や責任が乏しい傾向が強かったが、ロゴスという'''ある種の責任転嫁の対象'''が示された後半からそれがより悪化していく。小説版では'''ステラがベルリンで行ったことはロゴスのせいだから悪くない、さらには自分がこれまで命を奪ってきたのもロゴスのせいだから自分は悪くない'''とあまりにも醜悪且つ傲慢な考えを持ち、[[ラウ・ル・クルーゼ]]の『正義と信じ、分からぬと逃げ、知らず、聞かず』(デュランダルの理念とそれに着く自分だけを正義と信じて、自分の行動の結果は全てキラやネオになすり付けて逃げ、その側面や本質を全て他者のせいにして知ろうとせず、その負の側面を知るアスランの言葉を聞こうとせず<ref name="アスラン" />)がシン一人に集約されていると言っても過言ではなく、結果として『他人のせいにすれば、自分の言い分が認められる』というような状態に陥り、放送終了後も否定的な見解が多い要因の一つにもなっている。
*序盤から「常に」と言って良いほどに都合の悪い結果を他者になすり付ける'''自己正当化'''や、自分の行動に伴う結果に対する自覚や責任が乏しい傾向が強かったが、ロゴスという'''ある種の責任転嫁の対象'''が示された後半からそれがより悪化し、利己的で自己中心的な言動と思考へ進んでいく。小説版では'''ステラがベルリンで行ったことはロゴスのせいだから悪くない、さらには自分がこれまで命を奪ってきたのもロゴスのせいだから自分は悪くない'''とあまりにも醜悪且つ傲慢な考えを持ち、[[ラウ・ル・クルーゼ]]の『正義と信じ、分からぬと逃げ、知らず、聞かず』(デュランダルの理念とそれに着く自分だけを正義と信じて、自分の行動の結果は全てキラやネオになすり付けて逃げ、その側面や本質を全て他者のせいにして知ろうとせず、その負の側面を知るアスランの言葉を聞こうとせず<ref name="アスラン" />)がシン一人に集約されていると言っても過言ではなく、結果として『他人のせいにすれば、自分の言い分が認められる』という状態に陥り、放送終了後も否定的な見解が多い要因の一つにもなっている。
*デュランダルが大量破壊兵器による敵国民間人の虐殺を選択肢に入れてもなお、彼に従った等<ref>もっとも、高山瑞穂氏の漫画版(ボンボン版)等では「平和な世界を作る為に最良な方法を自分なりに懸命に考えた結果として、デュランダルに従う事を選んだ」とフォローされている。</ref>。
*デュランダルが大量破壊兵器による敵国民間人の虐殺を選択肢に入れてもなお、彼に従った等<ref>もっとも、高山瑞穂氏の漫画版(ボンボン版)等では「平和な世界を作る為に最良な方法を自分なりに懸命に考えた結果として、デュランダルに従う事を選んだ」とフォローされている。</ref>。
その反面、精神面における導き手の役割を期待されたアスランや周囲の大人達が全くそれをなせなかったが為に、成長する機会を失った不運なキャラクターとも言える。シンから見れば、自分の置かれた状況を深く考えず自分の感情のまま行動した末に増長しており、自分を優遇してくれる人物に甘えていたとも言える。凄惨な経験と、そこから来る他人との精神的な壁により、怒りと絶望に凝り固まり盲目になってしまったため、自発的に考える機会はいくつもあったにも拘わらず、一人では客観的に自省できぬまま泥沼と負の連鎖に陥った結果、先述のように後半は明らかに情緒不安定で正常な考えが不可能になっており、最終決戦では錯乱までしてしまった。
歴代の主人公達が多くの人間に出会って成長していった事に比べると、シンは良き理解者や人との出会いに全く恵まれていない。比較的良好な関係であったトダカやハイネはあまりにも出会った期間が短く、アスランもシンを導くのには未熟、同期であるレイは友情はあるもののシンを利用しようとし、ルナマリアとは恋人になる終盤までこれといったものはなく、キラに直接出会って和解したのも最後の最後でステラの死後は彼自身の人間関係の希薄さ(オーブ時代の人間関係が不明なのもあるが)も含めて、'''「ガンダムシリーズの主人公の中でも孤独な境遇だった」'''と言える。<ref>漫画『機動戦士ガンダムSEED DESTINY THE EDGE Desire』では、家族を失ったことが原因でトラウマにより頑なに心を閉ざし、士官学校時代から同期含め他者との交流を自分から避けていたことが語られている。だが、名台詞の項にもある通り、同作ではヴィーノも悲観的なシンを心配して怒っているシーンもあり、塞ぎ込みがちで他者と壁を作りがちな割に'''同期にだけは'''恵まれていたのかもしれない。</ref>
歴代の主人公達が多くの人間に出会って成長していった事に比べると、シンは良き理解者や人との出会いに全く恵まれていない。比較的良好な関係であったトダカやハイネはあまりにも出会った期間が短く、アスランもシンを導くのには未熟、同期であるレイは友情はあるもののシンを利用しようとし、ルナマリアとは恋人になる終盤までこれといったものはなく、キラに直接出会って和解したのも最後の最後でステラの死後は彼自身の人間関係の希薄さ(オーブ時代の人間関係が不明なのもあるが)も含めて、'''「ガンダムシリーズの主人公の中でも孤独な境遇だった」'''と言える。<ref>漫画『機動戦士ガンダムSEED DESTINY THE EDGE Desire』では、家族を失ったことが原因でトラウマにより頑なに心を閉ざし、士官学校時代から同期含め他者との交流を自分から避けていたことが語られている。だが、名台詞の項にもある通り、同作ではヴィーノも悲観的なシンを心配して怒っているシーンもあり、塞ぎ込みがちで他者と壁を作りがちな割に'''同期にだけは'''恵まれていたのかもしれない。</ref>
ただ、総じて本編や設定資料等において過去のオーブで暮らしていた頃の境遇(オーブに住んでいた期間は諸説有り定かではなく、家族とトダカ以外の人間関係も不明)や移民の立場から軍組織であるザフトに入った明確な理由(名台詞の項参照)等をはじめ、ストーリーを通じてのシンの心情があまり描写されなかった事も有って<ref>公式外伝である『機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY』で本編開始直前のシンが登場しているが、あくまでメインがインパルスガンダムである為か殆ど台詞も無くキャラクター描写もほとんどされていない。</ref>、キラやアスランと比べると不明瞭であり、[[続編]]や後発の[[資料]]等による設定の統一と補完が待たれる。
ただ、総じて本編や設定資料等において過去のオーブで暮らしていた頃の境遇(オーブに住んでいた期間は諸説有り定かではなく、家族とトダカ以外の人間関係も不明)や移民の立場から軍組織であるザフトに入った明確な理由(名台詞の項参照)等をはじめ、ストーリーを通じてのシンの心情があまり描写されなかった事も有って<ref>公式外伝である『機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY』で本編開始直前のシンが登場しているが、あくまでメインがインパルスガンダムである為か殆ど台詞も無くキャラクター描写もほとんどされていない。</ref>、キラやアスランと比べると不明瞭であり、[[続編]]や後発の[[資料]]等による設定の統一と補完が待たれる。
本編での行動や思考、言動への考察がファンの間では別れやすく、'''総合的にファンの主観によって賛否が非常に分かれやすい'''と言える。
=== 他媒体での描写 ===
=== 他媒体での描写 ===