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ベトナム人のファム・ヴァン・ニャン(范文仁)とフランス人のスザンヌ・ベールの子供。スザンヌはサイゴン近郊にゴム農園を持つ裕福な家庭で育ち、ニャンはその農園の奉公人だった。農園のそばにいた親からはぐれた子猫が出会いの切っ掛けとなり、身分の違う2人は親密になった。スザンヌのたっての願いで2人は駆け落ちし、ニャンは1度は捨てた故郷に戻る。その折にコクリコは産まれた。コクリコという[[フランス語]]の名前を希望したのはスザンヌだった。
 
ベトナム人のファム・ヴァン・ニャン(范文仁)とフランス人のスザンヌ・ベールの子供。スザンヌはサイゴン近郊にゴム農園を持つ裕福な家庭で育ち、ニャンはその農園の奉公人だった。農園のそばにいた親からはぐれた子猫が出会いの切っ掛けとなり、身分の違う2人は親密になった。スザンヌのたっての願いで2人は駆け落ちし、ニャンは1度は捨てた故郷に戻る。その折にコクリコは産まれた。コクリコという[[フランス語]]の名前を希望したのはスザンヌだった。
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だが、幸せな時間は長く続かず、コクリコが産まれてほどなくしてスザンヌが突如失踪してしまう<ref>この失踪の真相については2つの説がある。1つは、駆け落ちを認めていなかったスザンヌの父が数年かけて彼女の居場所を突き止め、連れ去ったという説。もう1つは、閉鎖的な農村と徹底的に開放されたプライバシーが重んじられない身内同士の生活に馴染めなかったスザンヌが、産後の不安定な精神状態の末に発作的に村を飛び出したという説。このエピソードが描かれた[[小説#サクラ大戦|小説]]『巴里前夜』1巻でも、どちらにも取れる記述になっている。</ref>。ニャンはスザンヌがフランスに帰った事実を知り、欧州大戦の兵士に志願する。フランスへ渡ったニャンはスザンヌに会う為に何度も脱走を試みたが悉く失敗、最終的に罰として前線に送られ戦死する。
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だが、幸せな時間は長く続かず、コクリコが産まれてほどなくしてスザンヌが突如失踪してしまう<ref>この失踪の真相については2つの説がある。1つは、駆け落ちを認めていなかったスザンヌの父が、数年かけて彼女の居場所を突き止め連れ去ったという説。もう1つは、閉鎖的な農村と徹底的に開放されたプライバシーが重んじられない身内同士の生活に馴染めなかったスザンヌが、産後の不安定な精神状態の末に発作的に村を飛び出したという説。このエピソードが描かれた[[小説#サクラ大戦|小説]]『巴里前夜』1巻でも、どちらにも取れる記述になっている。</ref>。ニャンはスザンヌがフランスに帰った事実を知り、欧州大戦の兵士に志願する。フランスへ渡ったニャンはスザンヌに会う為に何度も脱走を試みたが悉く失敗、最終的に罰として前線に送られ戦死する。
    
コクリコは教会に預けられニャンの帰りを待ったが彼がベトナムに戻る事はなく、教会の神父が亡くなり親族中をたらい回しにされた挙句、「シルク・ド・ユーロ」の団長であるジャック・ドニクールに見い出される。シルク・ド・ユーロは世界中を旅する移動式のサーカスであり、1924年のマルセイユ公演でフランスを訪れた後、1926年に巴里のモンマルトルで長期公演に入る。この公演期間中に[[大神一郎]]らと出会い、ある事件で霊力の素質を開花させ、自らの意思で[[巴里華撃団]]・花組の隊員となった。サーカスは脱退せず、そのまま掛け持ちしている。
 
コクリコは教会に預けられニャンの帰りを待ったが彼がベトナムに戻る事はなく、教会の神父が亡くなり親族中をたらい回しにされた挙句、「シルク・ド・ユーロ」の団長であるジャック・ドニクールに見い出される。シルク・ド・ユーロは世界中を旅する移動式のサーカスであり、1924年のマルセイユ公演でフランスを訪れた後、1926年に巴里のモンマルトルで長期公演に入る。この公演期間中に[[大神一郎]]らと出会い、ある事件で霊力の素質を開花させ、自らの意思で[[巴里華撃団]]・花組の隊員となった。サーカスは脱退せず、そのまま掛け持ちしている。
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