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→第3部~エンディング
:エンディングにて、施設を尋ねる際に落語を披露すると述べたサヤに対して。彼女が予定している演目を聞いてデジャヴを覚えるアーニーだが、どこで聞いたのか思い出せなかった。
:エンディングにて、施設を尋ねる際に落語を披露すると述べたサヤに対して。彼女が予定している演目を聞いてデジャヴを覚えるアーニーだが、どこで聞いたのか思い出せなかった。
:ちなみに、アーニーがサヤから芝浜のことを聞いたのは、'''51話でナイアが九郎に見せた夢の中'''である。あの光景が「有り得たかもしれない可能性」ならば、アーニーのこのデジャヴも[[虚憶]]の一種なのだろうか?
:ちなみに、アーニーがサヤから芝浜のことを聞いたのは、'''51話でナイアが九郎に見せた夢の中'''である。あの光景が「有り得たかもしれない可能性」ならば、アーニーのこのデジャヴも[[虚憶]]の一種なのだろうか?
;アーニー「もう、あの頃には戻れない」<br />サヤ「流れゆくまま、消えゆくまま」<br />アーニー「それが、選んだ道ならば」<br />サヤ「ふたりの、命の意味ならば」<br />アーニー「やがて、訪れるのは愛の日か」<br />サヤ「それとも地獄の道行か」
:第3部での中断メッセージにて。BGMや淡々と喋るアーニーとサヤの姿に陰鬱さが漂っているのだが、アーニーの台詞の中でさり気なく必殺シリーズネタが振られている(「やがて、訪れるのは愛の日か」→必殺仕置人主題歌「やがて愛の日が」)。
;アーニー「しのぶにも なほあまりある 昔とて」<br />サヤ「わが衣手は なみに濡れつつ」
:上記の中断メッセージの続き。とうとう和歌まで読みだす。
:どちらの台詞も百人一首からの引用でアーニーは「百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」、サヤは「秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」から持ってきている。
:なお、アーニー側は百人一首の100番目から引用であり、サヤ側は1番目からの引用。つまり、100番目→1番目と繋げており、'''ループしている'''。
== 迷台詞 ==
== 迷台詞 ==