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*『演義』では呂布の死後は曹操の後宮に入れられるなどの異説があるが、民間伝承では、華陀が'''美女の死体を繋ぎ合わせて作った人造人間'''と言う荒唐無稽なものもある。
*『演義』では呂布の死後は曹操の後宮に入れられるなどの異説があるが、民間伝承では、華陀が'''美女の死体を繋ぎ合わせて作った人造人間'''と言う荒唐無稽なものもある。
*日本の三国志作品では悲劇的な最期を迎える事が多い。
*日本の三国志作品では悲劇的な最期を迎える事が多い。
**これは吉川英治版「三国志」の影響が大きいと言える。<br>『吉川版』では董卓の死後に自害しており、吉川版を漫画化した『横山光輝版』もこの展開を踏襲している。なお、横山版ではカットされたが吉川版では呂布に「美女連環の計」の事を記した遺書を残しており、これを読んだ呂布は騙された怒りで貂蝉の遺体を井戸に投げ捨ててしまっている。<br>『蒼天航路』では自ら董卓の死にじかに触れる事を望み、自らの手で直接暗殺を謀るも董卓に阻止され、逆にその豪胆さを気に入られて彼に「妃」として飼われることになるが、後に呂布と通じて共に董卓を討つも、董卓打倒後は名誉欲に取り憑かれ良心を失った王允に邪魔者と見なされ用済みと切り捨てられた挙句、董卓軍の兵士たちによって殺害されてしまう。<br>『園田版』では呂布の目の前で李需(董卓の軍師)に殺害されてしまう(李需にとっては貂蝉も主君の仇だから、ある意味当然の行為)。直後、李需は二度も義父を斬った呂布を「人でなし!」「人の皮を被った獣!」と痛烈に罵倒した後に、激昂した呂布に殺害されるが、以後、呂布にとって、この李需の罵倒の言葉も非常に大きなトラウマとなる。<br>最も悲惨な最期だったのがNHKで放送された『人形劇三国志』である。この作品では、貂蝉は呂布だけでなく関羽とも恋仲となり、両者の対決は思想の違いだけでなく貂蝉を巡る愛憎劇となった。結局、呂布は関羽に倒されるが、貂蝉は本当に愛していたのは呂布だったとして自害してしまう。<br>そして、「UX」に参戦したSDガンダム三国伝でも呂布を庇って死亡する最期となっている。<br>現在のところ、貂蝉が生存する展開が用意されている作品はコーエーの『三国志シリーズ』、『三国志曹操伝』、『決戦Ⅱ』、『無双シリーズ』などのゲーム作品ぐらいである。
**これは吉川英治版「三国志」の影響が大きいと言える。<br>『吉川版』では董卓の死後に自害しており、吉川版を漫画化した『横山光輝版』もこの展開を踏襲している。なお、横山版ではカットされたが吉川版では呂布に「美女連環の計」の事を記した遺書を残しており、これを読んだ呂布は騙された怒りで貂蝉の遺体を井戸に投げ捨ててしまっている。<br>『蒼天航路』では自ら董卓の死にじかに触れる事を望み、自らの手で直接暗殺を謀るも董卓に阻止され、逆にその豪胆さを気に入られて彼に「妃」として飼われることになるが、後に呂布と通じて共に董卓を討つも、董卓打倒後は醜悪な名誉欲に取り憑かれ良心を失った王允に邪魔者と見なされ用済みと切り捨てられた挙句、董卓軍の兵士たちによって殺害されてしまう。その後、貂蝉を切り捨てた王允も董卓の配下の将である李傕によって斬られ、無様且つ自業自得な最期を遂げる。<br>『園田版』では呂布の目の前で李儒(董卓の軍師)に殺害されてしまう(李儒にとっては貂蝉も主君の仇だから、ある意味当然の行為)。直後、李儒は二度も義父を斬った呂布を「人でなし!」「人の皮を被った獣!」と痛烈に罵倒した後に、激昂した呂布に殺害されるが、以後、呂布にとって、この李需の罵倒の言葉も非常に大きなトラウマとなり、後に呂布は曹操に敗北した際に部下の陣宮にこのトラウマを抉るような台詞で嘲笑され、その際にも激昂して陣宮を殺害している。<br>最も悲惨な最期だったのがNHKで放送された『人形劇三国志』である。この作品では、貂蝉は呂布だけでなく関羽とも恋仲となり、両者の対決は思想の違いだけでなく貂蝉を巡る愛憎劇となった。結局、呂布は関羽に倒されるが、貂蝉は本当に愛していたのは呂布だったとして自害してしまう。<br>そして、「UX」に参戦したSDガンダム三国伝でも呂布を庇って死亡する最期となっている。<br>現在のところ、貂蝉が生存する展開が用意されている作品はコーエーの『三国志シリーズ』、『三国志曹操伝』、『決戦Ⅱ』、『無双シリーズ』などのゲーム作品ぐらいである。
== 余談 ==
== 余談 ==
*アニメシリーズにおいては孫尚香と劉備の恋愛描写はカットされたのに対し、貂蝉の恋愛描写はカットされることなく描かれたことからも、貂蝉の呂布への愛は絶対に外せないアイデンティティであることが窺える。
*アニメシリーズにおいては孫尚香と劉備の恋愛描写はカットされたのに対し、貂蝉の恋愛描写はカットされることなく描かれたことからも、貂蝉の呂布への愛は絶対に外せないアイデンティティであることが窺える。