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244 バイト追加 、 2015年6月18日 (木) 20:00
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== 迷台詞 ==
 
== 迷台詞 ==
 
;「こやつめ、ははは」
 
;「こやつめ、ははは」
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:三国伝漫画版の公式サイトにて、曹操ガンダムのキャラクター紹介ページにて2008年10月10日に曹操が言った台詞の一つ。この日のメッセージでは武将のパワーアップや読者応募作品についてコメントしているのだが、「曹操自身はパワーアップしないのか?」と問われたらしく、この台詞を笑って返している。<br />…という流れなのだが、実はこの台詞、元ネタが存在しており、この台詞の元ネタは、登場人物の人物描写や台詞、物語の展開などが色々な意味で凄まじくカオスな事で三国志ファンの間でも怪作として知られる久保田千太郎原作・園田光慶作画の漫画『三国志(通称・園田三国志)』であり、物語終盤の洛陽王宮の再建現場における下記の曹操と司馬懿の会話が元になっている。
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'''曹操 「ワシは天にまで届く宮殿を作るつもりじゃ」<br />司馬懿「高い宮殿も結構ですが陛下もお年ですので昇ったまま昇天なさらぬように」<br />曹操「こやつめ ハハハ!」<br />司馬懿「ハハハ」'''
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:この台詞はネットスラングとしても非常に有名な台詞であり、三国志ファンの間でも知名度の高い台詞として知られている。[[UX]]では中盤の宴会の席にてデントンの言葉(瑠璃の[[戦術指揮|問題人事]]に関して、「孔明や司馬懿を初めとする軍師軍団がいるから問題ない」と曹操に同意を求めた)に対して笑ってこの台詞を返しており『三国伝』のファンのみならず、多くの三国志ファンの笑いも誘った。…プレイヤーはともかくあの人事を笑って済ませないでください、将軍…
 
:この台詞はネットスラングとしても非常に有名な台詞であり、三国志ファンの間でも知名度の高い台詞として知られている。[[UX]]では中盤の宴会の席にてデントンの言葉(瑠璃の[[戦術指揮|問題人事]]に関して、「孔明や司馬懿を初めとする軍師軍団がいるから問題ない」と曹操に同意を求めた)に対して笑ってこの台詞を返しており『三国伝』のファンのみならず、多くの三国志ファンの笑いも誘った。…プレイヤーはともかくあの人事を笑って済ませないでください、将軍…
 
:もっともこの展開のおかげで[[シンジロウ・サコミズ|三人も]][[ブレラ・スターン|助かった人物が]][[バーン・バニングス|いることを]]考えると、曹操様々というべき…なのかもしれない。
 
:もっともこの展開のおかげで[[シンジロウ・サコミズ|三人も]][[ブレラ・スターン|助かった人物が]][[バーン・バニングス|いることを]]考えると、曹操様々というべき…なのかもしれない。
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'''曹操 「ワシは天にまで届く宮殿を作るつもりじゃ」<br />司馬懿「高い宮殿も結構ですが陛下もお年ですので昇ったまま昇天なさらぬように」<br />曹操「こやつめ ハハハ!」<br />司馬懿「ハハハ」'''
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:三国伝漫画版の公式サイトにて、曹操ガンダムのキャラクター紹介ページにて2008年10月10日に曹操が言った台詞の一つ。この日のメッセージでは武将のパワーアップや読者応募作品についてコメントしているのだが、「曹操自身はパワーアップしないのか?」と問われたらしく、この台詞を笑って返している。<br />…という流れなのだが、実はこの台詞、元ネタが存在しており、この台詞の元ネタは、登場人物の人物描写や台詞、物語の展開などが色々な意味で凄まじくカオスな事で三国志ファンの間でも怪作として知られる久保田千太郎原作・園田光慶作画の漫画『三国志(通称・園田三国志)』であり、物語終盤の洛陽王宮の再建現場における下記の曹操と司馬懿の会話が元になっている。
      
== スパロボシリーズの名台詞 ==
 
== スパロボシリーズの名台詞 ==
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*曹操は中国後漢末から三国時代の武将、政治家で、後漢の丞相・魏王に就き、魏の礎を築いた人物。(155~220)
 
*曹操は中国後漢末から三国時代の武将、政治家で、後漢の丞相・魏王に就き、魏の礎を築いた人物。(155~220)
 
*字は孟徳。死後、息子の曹丕が魏の初代皇帝となった際には「太祖武帝」と追号された。
 
*字は孟徳。死後、息子の曹丕が魏の初代皇帝となった際には「太祖武帝」と追号された。
*黄巾の乱では官軍の将として乱の鎮圧に活躍し、董卓が漢王朝を牛耳り専横を振るった後は反董卓連合軍の中心人物として活躍。董卓の死後に訪れた群雄割拠の時代には、青州黄巾党を降伏させ、漢王朝の天子(献帝)を自身の本拠地・許昌に迎えるなどして雄飛。呂布や袁術たち群雄を次々と撃破し、遂には華北最大の勢力を誇る袁紹を官渡の戦いにて破り、中原の覇者となる。漢の丞相就任後には軍を率いて南下するも、赤壁の戦いにて孫権・劉備の連合軍に敗退し、撤退を余儀なくされる。その後も馬超をはじめとする関中の軍閥連合軍を撃破し、漢中を治めていた張魯を降伏させるなど、順調に覇業を進めながら劉備や孫権と覇を競うも、西暦220年に病に倒れ、中国統一の悲願を達成することなく死去する。
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*黄巾の乱では官軍の将として乱の鎮圧に活躍し、董卓が漢王朝を牛耳り専横を振るった後は反董卓連合軍の中心人物として活躍。董卓の死後に訪れた群雄割拠の時代には、青州黄巾党を降伏させて自らの軍に吸収し、漢王朝の天子(献帝)を自身の本拠地・許昌に迎えるなどして雄飛。呂布や袁術たち群雄を次々と撃破し、遂には華北最大の勢力を誇る袁紹を官渡の戦いにて破り、中原の覇者となる。漢の丞相就任後には軍を率いて南下するも、赤壁の戦いにて孫権・劉備の連合軍に敗退し、撤退を余儀なくされる。その後も馬超をはじめとする関中の軍閥連合軍を撃破し、漢中を治めていた張魯を降伏させるなど、順調に覇業を進めながら劉備や孫権と覇を競うも、西暦220年に病に倒れ、中国統一の悲願を達成することなく死去する。
 
*軍人としても政治家としても非常に優れた天才的な才能を持っていた人物で、数々の革新的な政策を打ち出しており、その功績は後世の中国にも非常に大きな影響を与えている。「人の才」を深く愛した人物としても知られ、自身が見出した才能ある者は如何なる人物であろうと登用した。また、当代随一の文化人の一人でもあり、優れた詩人でもあった。春秋時代より伝わり、『武経七書』に数えられる兵書『孫氏』を現在に伝わる13篇に編纂したのも曹操である。
 
*軍人としても政治家としても非常に優れた天才的な才能を持っていた人物で、数々の革新的な政策を打ち出しており、その功績は後世の中国にも非常に大きな影響を与えている。「人の才」を深く愛した人物としても知られ、自身が見出した才能ある者は如何なる人物であろうと登用した。また、当代随一の文化人の一人でもあり、優れた詩人でもあった。春秋時代より伝わり、『武経七書』に数えられる兵書『孫氏』を現在に伝わる13篇に編纂したのも曹操である。
 
*人物鑑定家の許劭からは「'''治世の能臣、乱世の奸雄'''」と評された。「乱世の奸雄」の異名は、曹操を象徴する二つ名としても非常に有名である。そして、『三国志』の『正史』の著者である陳寿からは「'''非常の人、超世の傑'''」と…即ち、「類稀なる才の持ち主であり、時代を超えた英雄である」と最大級の賛辞の言葉で賞されている。
 
*人物鑑定家の許劭からは「'''治世の能臣、乱世の奸雄'''」と評された。「乱世の奸雄」の異名は、曹操を象徴する二つ名としても非常に有名である。そして、『三国志』の『正史』の著者である陳寿からは「'''非常の人、超世の傑'''」と…即ち、「類稀なる才の持ち主であり、時代を超えた英雄である」と最大級の賛辞の言葉で賞されている。
*紛れもなく「英雄」である曹操だが、当時の後漢の皇帝(献帝)を蔑ろにして国の権力をふるい、曹操を危険視して抹殺しようと企んだ皇族や漢の重臣達の陰謀を暴いては容赦なく処断・粛清し、孔子の子孫の孔融をはじめとした儒者たちとも徹底的に対立し(孔融は曹操への罵言・放言を続けたために最後は曹操に処刑された)、曹操の死後に息子の曹丕が漢王朝から天下を簒奪して魏王朝を開いた事、父の曹嵩が徐州で殺された際には徐州に侵攻し徐州の民の大量虐殺を敢行した事等、人々を恐怖に陥れ、後世にも多大な悪名を残す所業も幾度も行ったため、『三国志演義』では「漢王朝復興を掲げ、民をも救わんとする正義の劉備」に対する「天下を漢王朝から奪わんとし、野望のためには非情な所業も厭わない悪役の曹操」として描かれ、「神」となった関羽、「物語」となった劉備や諸葛亮に対し、曹操は千年以上の長い間において、「物語」の中でも、歴史の中でも、人々から悪役としての扱いを受ける事となってしまった(曹操の冷徹なまでの合理主義は儒教を重んじる中国の民衆にとって受け入れがたい面も少なからずあった)。
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*紛れもなく「英雄」である曹操だが、当時の後漢の皇帝(献帝)を蔑ろにして国の権力をふるい、曹操を危険視して抹殺しようと企んだ皇族や漢の重臣達の陰謀を暴いては容赦なく処断・粛清し、孔子の子孫の孔融をはじめとした儒者たちとも思想の違いから徹底的に対立し(孔融は曹操への罵言・放言を続けたために最後は曹操に処刑された)、曹操の死後に息子の曹丕が漢王朝から天下を簒奪して魏王朝を開いた事、父の曹嵩が徐州で殺された際には徐州に侵攻し徐州の民の大量虐殺を敢行した事等、人々を恐怖に陥れ、後世にも多大な悪名を残す所業も幾度も行ったため、『三国志演義』では「漢王朝復興を掲げ、民をも救わんとする正義の劉備」に対する「天下を漢王朝から奪わんとし、野望のためには非情な所業も厭わない悪役の曹操」として描かれ、「神」となった関羽、「物語」となった劉備や諸葛亮に対し、曹操は千年以上の長い間において、「物語」の中でも、歴史の中でも、人々から悪役としての扱いを受ける事となってしまった(曹操の冷徹なまでの合理主義は儒教を重んじる中国の民衆にとって受け入れがたい面も少なからずあった)。
 
**しかし、20世紀の中頃から再評価運動が広く行われ、現代では名実共に「英雄」としての評価を確固たるものとしており、劉備にも勝るとも劣らない人気と支持を得ており、「曹操こそ三国志の真の主人公である」という声も少なくない(実際、黄巾の乱より曹操が死去するまでの三国鼎立の動乱期初期まで、時代の中心には常に曹操がいた)。日本においてもその人気は高く、曹操が悪役として描かれる『演義』をベースにした『吉川三国志』を読んで曹操のファンになった人も少なくなく、主人公である劉備に対するダークヒーローとしての曹操も多くの読者の間で人気を博し、『吉川三国志』の作者である吉川英治氏自身も作品を執筆しながら「曹操に魅力を感じていた」と述懐している。近年ではコーエー(現:コーエーテクモゲームス)のPCゲーム『三國志 曹操伝』や、漫画雑誌『モーニング』にて連載されていた漫画作品『蒼天航路』(原作・原案:李學仁、漫画:王欣太)をはじめ、曹操を主人公として描く三国志の創作作品も幾つも描かれている。
 
**しかし、20世紀の中頃から再評価運動が広く行われ、現代では名実共に「英雄」としての評価を確固たるものとしており、劉備にも勝るとも劣らない人気と支持を得ており、「曹操こそ三国志の真の主人公である」という声も少なくない(実際、黄巾の乱より曹操が死去するまでの三国鼎立の動乱期初期まで、時代の中心には常に曹操がいた)。日本においてもその人気は高く、曹操が悪役として描かれる『演義』をベースにした『吉川三国志』を読んで曹操のファンになった人も少なくなく、主人公である劉備に対するダークヒーローとしての曹操も多くの読者の間で人気を博し、『吉川三国志』の作者である吉川英治氏自身も作品を執筆しながら「曹操に魅力を感じていた」と述懐している。近年ではコーエー(現:コーエーテクモゲームス)のPCゲーム『三國志 曹操伝』や、漫画雑誌『モーニング』にて連載されていた漫画作品『蒼天航路』(原作・原案:李學仁、漫画:王欣太)をはじめ、曹操を主人公として描く三国志の創作作品も幾つも描かれている。
**また、日本では、曹操と同様に生涯戦国乱世を駆け抜け、苛烈・非情な所業も行ったがために人々からも恐れられながらも、その覇道で中世の旧時代を徹底的に破壊し、近世の新しい時代を切り拓いた英雄である織田信長と対比されて語られることも多い。
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**また、日本では、曹操と同様に生涯戦国乱世を駆け抜け、苛烈・非情な所業も行ったがために人々からも恐れられながらも、その覇道で中世の旧時代を徹底的に破壊し、天下統一の礎を築き近世の新しい時代を切り拓いた英雄である織田信長と対比されて語られることも多い。
    
== 余談 ==
 
== 余談 ==
*曹操ガンダムを演じた声優の乃村健次氏は『[[機動戦士ガンダムAGE]]』にて、イワーク・ブライアを演じた。イワークが発した「'''強いられているんだ!'''」という台詞は一部で話題を呼んでおり、UXにて曹操が何度か「強いられている」と発言するのはこれが元ネタ……かもしれない。
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*曹操ガンダムを演じた声優の乃村健次氏は『[[機動戦士ガンダムAGE]]』にて、脇役キャラクターの一人であるイワーク・ブライアを演じた。イワークが発した「'''強いられているんだ!'''」という台詞(とその台詞の場面の演出)は話題を呼び『ガンダムAGE』を代表する名(迷)台詞としてファンの間で広く知られており、UXにて曹操が何度か「強いられている」と発言するのはこれが元ネタ……かもしれない。
    
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