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(ページの作成:「編集合戦はしたくないので、編集意図をお聞きしたいと思います。 >>114.182.13.10さんへ >そもそも、デラーズおよび彼の賛同者...」) |
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2018年3月4日 (日) 15:30時点における版
編集合戦はしたくないので、編集意図をお聞きしたいと思います。
>>114.182.13.10さんへ
>そもそも、デラーズおよび彼の賛同者達が「志だけしか持っていなかった」事が原因と言えなくもない。
- 文章としては「志しか持っていないからシーマに叛乱された」ということになります。なぜそのように解釈したのか解説いただけませんでしょうか。
- デラーズがシーマの叛乱を許したのは、単にシーマを信用し過ぎてしまったからであって、志云々は特に関係がないと私は考えています。
>最後の最期までジオンへの(というよりギレンへの)狂信を貫いた。
- 第一次の公式見解として、映像作品の本編中でデラーズが狂信的な思いでギレンと同様のコロニー落としをした、という描写はありません。本編中では北米を狙った意図は関係者から発言されることはありませんが、
- 今西監督が小説版で描写するところに寄れば、デラーズ・フリートの目的はギレンの目的(正確にはその一部)「アースノイドの虐殺・間引き」などと言うようなものではなく、「敵国の農業資源に打撃を与える」というものです
- 単純にコロニー落としをギレンのフォロワー的な行為ととらえるなら、コロニー落としを実施したバスク・ハマーン、隕石落としをしたシャアもフォロワーとなるはずです。